2021年10月30日

東京子ども図書館の機関紙「こともとしょかん」を読むのが楽しみだ。
中でも一番待っているのが「ランプシェード」松岡享子先生のエッセイ。
秋号が届いた。いつものことだが、冊子の間には色々なチラシなどが挟んである。
それらをはずし、まず目次を見て、ランプシェードさがす。
夏号で松岡享子先生が転倒して腰椎圧迫骨折したけれど、時間が経ちずいぶん良くなった
とのことだった。だから、秋号では全快のお知らせがあると心待ちにしていた。
ところが、ランプシェドがないのだ。いぶかりながら、挟み込みの物を見たら
「賛助会委員・購読会員のみなさまへ」 ランプシェード休載にあたり・・・の用紙があった。
松岡享子先生のA4用紙両面のお手紙だった。
そこには、
病気が見つかったが、病状は非常に安定しているので、
このまましばらく推移するとのドクターの診断で、
「一切の治療は受けず、万事を成りゆきにまかせることにして、今は山の家で過ごしている」とのこと。

騒がず、淡々と今を受け止めていらっしゃるご様子。
凡人の私にはその覚悟は出来ない!失礼なことだけれど深く感銘を受けた。
その後、文化功労者に選ばれたと友人から知らされた。
東京子ども図書館HPを見たら、
受賞にあたっての先生のこれまた素晴らしい言葉が載っていた。
心から尊敬して止まない真の松岡享子先生を見たと思った。

先生には指で数えらレるほどしか、直接にお会いしていないけれど、
ごく初心者の15〜6年前に受けたお話の講習で語った「ついでにペロリ」
語った後、「あなたのねこはどんなねこ?」と尋られ、
飼っていたねこの話しをしたら、「だから、かわいいのね」と。
あまりに無知で理解できなかったが、その言葉を頭の隅の置き、
その後ずーと語って5〜6年後に「ハッ!」と。
そのアドバイスの意味が分かった瞬間でだった。
それからはどのお話を語るにも「あなたの・・・?」を私だけの座右の銘としている。


どうか、穏やかな日々をおくられますように・・・。 
                                                  





2019年6月9日

読み聞かせボランティア活動を始めて14年。最初は保育園
もともと我が子達やアルバイト先では読んでいたが、
ボランティアとして10人以上の子ども達に読んだのは保育園 2歳組と年長組。
そのとき読んだ本は「いっぱいいっぱい」「てぶくろ」(共に福音館書店)
何しろ初体験だったので、文字はすっかり暗記して臨んだことが懐かしい。

そして今では、公民館・図書館・子育て支援センター・保育園・小学校等など
だんだん活動先が増えて、
毎月毎月、0歳から12歳までの子ども達・時には大人と一緒に
お話・絵本・わらべうた遊びを楽しんでいて
ふっと気がつくと、この活動は私の大切な時間になってしまっている。
それどころか、この活動を中心に私の日々の生活が動いている。

ところが、5月下旬に、2週間 この活動を休んだ。
6月活動を再開したが、自身の感じ方・考え方が違ってきている気がする。
それがどういうことかは、まだはっきりとはつかめない。
活動15年目を前にして
「このまま続けるのか?」 「若い人に任せることもありでは?」
「もし体調急変時、責任はとれる?」 等など・・・・
これまで口にしてはいたし、それなりの対処法も考えていたけれど、
60歳代最後の年を迎えるにあたって、現実として感じている。

活動を始めるとき、引き際、止め時を しっかり見極める!と心に決めていたから、
この一年 じっくり考えて活動に臨みたい。


                           


            
  



2017年5月5日

 新学期が始まってひと月近く過ぎた。
 ピカピカの小学1年生たちのランドセルも背中に馴染んで、通学の姿も落ち着いて見える。
 4月下旬の朝読みは、1年生のクラスだった。
 クラス委員がまだ決まっていないので地域ボランティアが入れる嬉しい月。
 子どもたちには初めての時。
 子どもたちの前に座ると「どんな絵本を読んでくれるのか!?」の顔がこちらを向く。
 導入で「ろうそくのうた」
 次にお話「世界でいちばんきれいな声」 (おはなしのろうそく愛蔵版6より)
 『素話を聞く』は恐らく殆どの子どもが初体験。始まりは「なんだ?」「どうなるんだ?」の表情。
 そのうち、「いえるでしょうか?」の繰り返しのフレーズに
 「できない!」の声が上がり、首を横に振り、だんだん「子ガモ」と同化していく。
 おかあさんガモの「クワッ クワッ!」の声で子どもたちが安堵・喜びの表情に変わる。
 語り手には、この「届いた」瞬間が何よりの喜びとなる。
 それから、絵本「くんちゃんのはじめてのがっこう」
(ペンギン社
 これは小学一年生とピッタリ! 
 安心して楽しんでくれるので、機会があれば、入学したてこの時期必ず届ける。

 このひと時を落ち着いて楽しんでいた子どもたちの中で、
 始まりから 声を出す。動く。立ち上がる。隣の子の邪魔をする子どもが1人いた。
 私は気に留めながらも語り、読み続けた。
 すると、途中からその言葉、動きの内容が、物語に沿ったものに変わってきた。
 確かに終了まで、その落ち着きのなさは続いたが、この反応はとても嬉しい。
 子どもたちに『良いもの』『ピッタリのもの』を届けることの大切さを再認識した20分間だった。
 
 ただ「この本は面白い本から」「うちの子が好きだから」
 その選書・選話で良かったのか!読み聞かせ活動の大人にはしっかり感じて欲しい。
 決して自己満足に終わらないでほしい。
 子どもたちの大切な15分間を頂いている!活動なのだから。
 
 この子どもたちの成長が見たいので 機会があったら是非に!と願っている。



                 

 


2017年3月8日

 今年も卒業・卒園の時期がやってきた。
 この8年ほど読み聞かせ活動をさせて頂いている保育園でも 
 今月5歳児組(年長組)が卒園する。
 
 毎年3月読み聞かせの時間の終りに、5歳児組の園児達から 歌のプレゼントをもらう。
 その歌声に耳を傾けていると、
 1歳頃に出会って、6歳になるまでの彼らの姿が走馬灯のように思いび 胸がいっぱいになる。 
 
 みんなの笑顔は絵本のおばあちゃんのエネルギー源、大事な大事な宝物。
 素晴らしい成長を見せてくれた子どもたち、有難う!! 
 小学生になっても君たちならきっと大丈夫!
 そして、「素敵な人」になって下さいネェ。


    
        





2015年5月16日
 数日前、お話の好きな仲間が集まって お互いのお話を聞く会をやった。
 長くて20年以上、短くて7年ほど、主に子ども達に語りを語って楽しんできた人たちだ。

 年2回、持ち回りで、続けて 今回25回目になる。 

 語りには「その人が出る」といわれる。
 年間150話ほど聞いてきて、本当にそうだと実感している。
 今回も、なるほど皆 その人なりの味が出ていてよかった。

 ただ一つ、気になるお話があった。
 日本五大昔話の「ももたろう」お話。
 「川へ洗濯に行ったおばあさんが大きな桃を拾い、
 その中から生まれた男の子ももたろうが 犬猿雉をお供に、鬼が島へ行き、鬼を退治する」
 …筋は、日本人なら知らない人はおそらくいないだろう。

 ところが、今回の話は ひっくり返る程の驚きだった。
 第一に、ももたろうがなまけものである。
 第二に、お供になりたい犬猿雉に きびだんごは半分しかやらない。
 第三に、ももたろうは鬼に負けそうになるので、雉が助っ人を呼びに行く。
      その助っ人は、臼・うしのくそ…等々、「さるかに」の登場人物

 確かに昔話は伝承されてきたものだから、その土地土地で違っては、いる。
 けれども、所謂「猿蟹合戦」といわれるお話と合体では、どうかと思う。
 元話があり、再話者がいたから、このテキストがあるのだろうが、
 この元話自体が いつかどこかで手を加えられたでは ないのだろうか?
 世に広く知られている「ももたろう」のお話を知っていないと、
 今回のお話の本当の面白さは伝わらない。
  
 昔々からずっーと途切れずに、 語り手の口から耳へ、また口から耳へ
 …と伝えられてきたものが昔話。
 私たち、昔話を語る者たちには、そのお話を大事に大事に次の世代に伝える
 =伝承の役割も持っている筈だ。
 

 今回は、昔話をよく知っている者(大人)に語られたから、それなりに区別して聞けたと思うが、
 もし、よく知らない子どもが聞いたら 「ももたろう」という昔話はいったいどうなるのだろう。

 と、昔話を愛する身としては、心配で心配でたまらない。


         

 


2015年4月17日
 新学期が始まり、10日程過ぎた。
 子どもたちは 『新』の付く毎日にもそろそろ馴染み始める頃だろう。
 
 『えがお文庫』も活動を再開した。
 貸し出し処理等不慣れで スタッフの動きは、まだまだぎこちないが、
 ボチボチ子どもたちが姿を見せてくれて、
 絵本が動き出した。子どもたちは元気だ。

 私自身が 何しろ『新参者』だから、
 なにより先ずやらなければならないことは、
 子どもたちの顔を覚え、名前を覚えること!
 そして、どんな本が好きかな?と 一人ひとりを観察すること。
 文庫の入り口で
 「こんにちは 〇〇くん、◎◎さん」
 「こんな本が入ったよ!」「これ面白いよ!」
 ・・・と声をかけられる文庫のおばさんってステキでしょ!
 そのためにも、私自身が、文庫活動を精一杯楽しもう! 

             

   
 

2015年3月11日
 弥生三月 ボランティアで出会った子ども達の成長に感動する季節。
 今年も毎月活動をさせて貰っている保育園の年長組さんが 今 保育園を巣立とうとしている。

 毎年この月、年長さん達から嬉しいプレゼントをもらう。
 それは、卒園式でうたう歌を 上手に歌ってくれるのだ。
 0歳の頃から出会ってその成長を見てきた「絵本のおばちゃん」は
 もう歌が始まった時点で、ウルウルとなってしまう。

 どの子も六年間の大半を この保育園で保育士さん達の愛情を受けすくすくと育ってきた。
 絵本のおばちゃんは 小学校へ行っても 素直で・元気に過ごして欲しいと願っていますよ。


           



2014年1月28日
 早いもので今年ももうひと月が経とうとしている。
 今日は月一の0歳児わらべうた遊びの日。
 今回もまた顔見知りの母子達が集まってくれた。
 
 毎月会っていると、0歳児はひと月で随分成長するのがよく分かる。
 先月はニコニコ笑って抱っこされた子が 人見知りをするようになっていたり、
 うつぶせが苦しくて床に突っ伏していた子が、両手足を広げて「飛行機ブンブン」やっていたり、
 もちろん、這い這いも上達し、目的地へタタタタタと一直線。
 手をパチパチも出来るようになってるし、何かおしゃべりも出来ている。
 この時期の成長スピードは 月ロケット並みである。

 一昨年から、読み聞かせの時間は、
 わらべうた(ねかせうた)『おらがこのこは』を歌って終わりにしている
 何しろ「おらがこのこは いいこだよ〜」と、歌詞がいいのだ。
 
 子どもを預ける先がある人は別として、おでかけもままならないし、
 自分のことも十分に出来ない。 等々、ストレスを抱え込む。
 どんなに子どもを可愛いと思っていても、「かわいいかわいい」とは口にする余裕がない。
 そんな子育て期の若いママ達にもってこいのわらべうただと思う。
 この詩を3回歌えば、6回も「いいこだ〜いいこだ〜」と子どもに言ってやれるからね。

 今日リピーターのママからニコニコ顔で報告があった。
 「あの〜おらが〜っていう唄。歌詞がよく分からなくてネットで調べたら、歌詞も色々。   
  で、寝かせる時に歌う様にしたら「スゥーッ」と眠るんですよ〜〜、嬉しいですゥ」

 実践してくれるママがいる。わらべうた伝承出来てる!私も嬉しい!!







2013年10月8日
 今日は乳児保育園の月一のおはなし会。
 絵本4冊・うた3曲をプログラムしていたが、30分間にはちょっと短いかなー
 何か足そうと考えていた処、大型の台風が刻一刻と近づいてる‥との天気予報。
 そうだ!「ぞうくんのおおかぜさんぽ」を読もう!・・・・とカバンの中へ。
 

 おはなし会終了後、3歳児組の一人の男児から
 「あしたもまたきてね」・・・これは大体いつも言ってくれる言葉。
 今日はその後に
 「おおかぜにふきとばされないでね」 と!! 
 なんとなんと 読んだ本の内容と実際の状況とをしっかり掴んでいるのです。
 

 子どもの凄さを見せて貰いました。
 こんなことがあるから、読み聞かせボランティアは止められません。

 この園は0歳〜3歳児までの公立保育園。
 小ぢんまりとした園で、おはなし会は全員一緒に聞いてくれます。
 3歳児の反応が2歳児・1歳児への良い刺激となっているのが分かります。
 年度替わりで進級した3歳児達は 4月の時点でグッ伸びた感じがして
 それまでの赤ちゃんの雰囲気から 男の子女の子の貫録が見えてきます。
 そして、
 小さい子のお兄ちゃんお姉ちゃんの役割を果たそうという気になっているのが分かります。
 今一人っ子の多い世の中、兄弟姉妹のいない子どもたちは 
 兄弟姉妹の疑似体験をして日々を過ごしています。貴重な経験です。
 
 この園で数年間子どもたちと触れ合ってきて、小規模の良さ・必要性を感じています。

 でも、2年後は民営となります。寂しいです。
 
 

    


 


2013年9月2日
 田島征三さんの講演会を聴いて

 田島征三…と聞いて思い浮かべるのが、子ども達は「とべバッタ」ではなかろうか? 
 絵本作家・田島征三さんは高校生の時、
 画家を目指すなら何といっても「デッサン」・・・と、日々描いていたらしい。
 ところが、ある日 岡本太郎の講演で、
 『芸術は毎日が新しいものだ!』『「前日からの絵を引き続き描くのは芸術ではない!』
 という「檄」に触れ、目覚めたという。
 田島征三ご本人はほっそりと細身。初めてご本人を見た人は、
 あの力強い絵からはとてもとても想像できないだろう。
 
 長野だったか廃校になった小学校の校舎を使って、
 木の枝・石・木の実などなどを使ってのオブジェを 創るところから、
 完成後、その小学校の卒業生が訪れて遊ぶ…という内容の番組。
 木の実を拾い集めているご本人の表情は、子どもそのもの。
 「田島征三ってこんな人なんだ!」と、その画像が印象深く今でも眼の奥に残っている。

 
講演会の終りに三冊の絵本を読まれた。         
『花じんま』『海賊』『ぼくのこえがきこえますか』    
 *『花じんま』(福音館書店)
 田島征三さんの解釈による昔話の「花さか爺」
 言葉は田島さんの故郷の土佐弁。
 *『海賊』(ポプラ社)                     
 漫画チックなコマ割りで描かれている。        
 「子どもたちの未来を駄目にしてはいけない」
 というメッセージが込めらている。
 *『ぼくのこえがきこえますか』(童心社)            
 日本・中国・韓国の絵本作家9名による日中韓平和絵本の一冊。
 『戦争とは?』『誰のために、何のために人を殺す?』
 『戦争はある日突然始まるんだよ!』と、子ども達への強いメッセージが
 込めらて描かれている。





 
 

2013年7月13日
  ボランティアとしての心掛け

 私の所属するグループは、昨年度から県立図書館でのおはなし会が始まった。
 私個人としては、別のグループの一員として活動はしていたが、
 グループ活動も8年となった昨年、問い合わせた結果、活動させて貰うことになった
 次第だ。
 
 今年度からは、赤ちゃんたちのおはなし会の時間も、年3回が割り当てられ
 活動が出来るようになった。
 今までの経験から プログラム組みには 月一の勉強会で担当者が組んだものを
 メンバー全員で精査し、決定することにしている。
 このやり方が、一番ブレがない内容となり、
 参加してくれるママ達が 安心してリピートして下さっているのを実感しているからだ。

 
 初活動は9月。そこで、プログラムを決め、今日県立図書館へ提出した。
 そこで「もう提出して下さるんですか?」‥と職員さんの言葉に、
 「エッ!2か月前に提出ではなかったんですか?」と私。
 「皆さん、活動週の月曜日に出されます」・・・私もう一度「エッ!!」


 1〜2カ月前にお知らせを!…と担当課長からは、説明があった覚えがある。
 
 それにしても、

 確かに2か月前は早すぎるかもしれない。
 でも、活動の日には、貼り出し用のや配布用の書類が必要でそれを作成する時間が要る。
 活動の前日は休館日だから、現在は、その日に作成されるのだろうと察している。

 
 …が、
 ボランティアとしてこんなことでいいのだろうか?
 ボランティアの姿勢としてはお粗末なのでは?と疑問を持った。

 この活動は図書館主導の活動であり、そのプログラムへの責任がある。
 前々日にいきなり「これはちょっと!」という内容の提出だったら どうするのだろうか?
 それに対応出来るのだろうか?
 たとえ赤ちゃん向けでも、常に真摯な気持ちで向かわなければ!と思う。
 
 職員からはそのことについて何も聞かなかったが、
 「時間がある時に作業し、早目の準備が出来るので助かります」との言葉。

 協働する…事の意味をしっかり考えていなければ、
 ボランティアは「小さな親切・大きなお世話」となりかねない、と思った。



    




2013年6月25日
   8年後の再会

 9年前の4月、市図書館横の公民館での読み聞かせボランティア活動が始まった。
 立ち上げたばかりのよちよち歩き状態のボランティアグループで、
 右も左も分からず、指導者も無く、自分たちで手さぐりでのスタートだった。 
 当初のメンバー数は 60名を超えていた。
 年を経るうちに 其々の事情もあり だんだん減っていった。現在は10名。
 地道にコツコツ・誠実に…をモットーに 切磋琢磨しながら9年。
 今では、活動先も増え、口コミで個人的に依頼があったり、図書館派遣依頼も・・・。
 ボランティア先があるからこその活動だと有難く思っている。

 そんな今日の公民館での小さい子のおはなし会でとても嬉しい出来事があった。
 5か月の男児を連れてこられたお母さん。周りのお母さんより少し年上…かな?と
 感じながら、参加者の一人として接していた。
 そのお母さんから
  「この子の上に姉がいるのですが、8年前こちらへ来ていました。
   まだやってると聞いて来ました。
   今では、お姉ちゃんは本が大好きで、図書館通いしています。
   この子に絵本を読んでくれています」・・・と。
 聞けば、覚えのある名前。
 なんと嬉しい!
 あのころのプログラムを見返すと、穴に入りたい程の稚拙さ。
 でも一生懸命だったことだけは自信もって言える。
 それよりなにより、嫌な印象ではなかったということでホッとし、顔が緩んだ。

 こんな再会は 滅多にあるものではないと思う。

 同じところで同じ活動を続けてこられたことは、活動先からの依頼があるからこそ。
 この機会を頂いていることに感謝し、
 初心を忘れず、これからも誠心誠意努めなければ!!
     


 
 


2013年1月29日
 初めての『ブックトーク』体験
 
 
 
 ブックトークのワークショップ講座が開かれ、
 その関係者が友人だった為、実習を依頼されたのが 昨年12月初旬。
 そこで、おはなし会仲間二人を誘い 挑戦することになった。
 明けて14日までには原稿を提出ということで、
 年末年始を挟み、時間の余裕がない状況下で 必死で選本・テーマ決め作業を続けた。
 そして、無い頭を絞り絞り書いた原稿を提出。
 その途端気抜けしてしまって 
 実習発表を明日に控えた昨日、自分の書いた文章なのに なかなか頭に入ってこない。
 丸一日ホントに焦った。
 当日となった今朝の心境は、開き直り、「俎板上のなんとか」どころか、緊張感ゼロ。
 これが歳を取った…ということだろうと、一人合点して その場に臨んだ。
 
 とにかく、子どもの頃は 母が嘆くほどの「本の虫」とは対極の日々。
 大学も文学を勉強した訳でもなく、読書三昧だった訳でもない。
 その私が、絵本や児童書の面白さに気付いたのは 五十路に入ってから。 
 最近、自分は何をしても「遅れてきた人」だと思う。
 それでも、気づいたから、始めたから 良かったのではないか! 
 ・・・・と、自分を自分で慰めている 亜老女なのだ。

 で、ブックトークの結果は、
 「紹介本を欲張り過ぎ、冊数を減らし、1冊をもっと掘り下げて紹介すること。
  作者紹介は不要、その時間も紹介に使うこと」 というアドバイスだった。
 
 結果としての感想は、思い切って挑戦して 良かった!

 早速、原稿を書き直し、そして、機会が有ったら実践してみよう!
 

 

2013年1月27日
 プレパパママ教室で「絵本とわらべうたの紹介」ボランティア活動

 今年度3回目。
 今日の参加は28組  半年以内に初めてのパパとママになる若いカップル
 ここの活動をする度に、自分の時代との違いを痛感する。
 今流行の「育メン」になるだろうと思われる男性たちには、
 「優しい」という言葉のイメージの弱弱しさはなく、
 「親として育児に手を出すのは当然」と心底思っているその姿には
 清々しささえ感じられる。  フレェ〜フレェ〜新米パパママ!! ( ^o)//パチパチパチ

 赤ちゃんが産まれたら、どこかの子育て支援センターでお会いしましょうネッ(^_-)-☆


    



2012年8月14日
 スズキコージ絵本原画展を観に、宇城市不知火美術館へ出かけた。
 
 今回は、
 「あつさのせい?」「エンソくんきしゃにのる」「ガラスめだまときんのつののヤギ」の原画。
 スズキコージの絵は、独特の世界観があり、力が満ち満ちている。
 
 原画を前にし、やっぱり、3冊とも絵の隅々にまで目が行ってなかったことに気付かされた。
 子どもたちは 大人に読んで貰いながら、1ページ1ページの絵の隅々にまで目を凝らし、
 その物語を耳や目から受け止め、全身で楽しんでいる…と理解していて 
 自分も、絵を観て読んでいるつもりだったが、字面ばかりを追って、絵は観た気になってた。
 これが失くしてしまった感性だ。危ない危ない。。。

 子どもたちに絵本を読む活動をしている大人の大半は、ただ読んでいるという行為だけ
 となり、子どもたちと一緒に物語の世界に遊び、楽しむことには 関心がない。
 だから、表面的な面白さや笑い、甘ったるい感傷を題材とした絵本を選び・読む大人が
 多いのだ。だが子どもたちは知っている。
 そんな絵本は二度と手に取ってはくれないし、彼らの信頼を得ることは出来ない。
 
 子どもたちに、絵本を読む大人は、本を選ぶ目を持つ為の努力をし続けなければならない。
 改めて自分に言い聞かせた処だ。

                   

 

2012年7月28日
 今年も 尾松純子氏のお話会とワークショップに参加した。
 
 8年ほど前に 初めて小道具を使ったオリジナルなお話と出合い
 「おはなし会」にはこんな世界があるのか!?と驚いたことを覚えている。
 それ以上に私が引き付けられたのは、彼女の語りであった。
 「サンフェアリー・アン」は 今もあの声が耳の奥から聞こえてくるほどの感動をもたらせ
 私の心に残る三人の語り手の一人となった。

 
 普段私が身を置いている語り方とは全く違った「語り手」だから、
 もう25年以上も語りの世界に居る語りの師や所属長は 
 「違う」「どうもネェー」などと揶揄するが、
 私は、語り方は その人の醸し出す世界が 聞き手を楽しませればいい!と考えている。
 彼女の真似をしてみても、出来るものではない。
 彼女の声、感覚、人となりが あのお話を生み、あの時間を作るのだから。。。
 
 元々、私はお話を聴いて育ってきたのではないから、
 出来るだけ沢山の人の語りを聴き、講演を聞き、書物を読み、習い、体験し、
 それを自分のものとし、丹念に磨いた語りを子ども達に届けたいと願っている。
 特に、今年からの3年間は、
 グリムの昔話研究家「小澤俊夫氏」の昔ばなし大学を受講する機会を得たので、
 昔話を文法から大いに学び しっかりとテキストを読み込む力をつけ、語りたい。


        


2012年4月27日
 今年度は保健センターで催される「両親教室」で、
 『絵本とわらべうた』の紹介をやることになった。
 プレパパママ、つまり妊婦さんとその夫が対象。今回の参加は10組。
 勿論、初めてパパママになる方々だから、赤ちゃんに読む絵本もわらべうたも初体験。
 赤ちゃんに初めて出会わせて欲しいお薦めの絵本は
 「じゃあじゃあ びりびり」「いない いない ばあ」「おひさま あはは」の3冊、
 わらべうたは、覚えて赤ちゃんに歌って欲しいので、
 目覚め時に歌って欲しい「ととけっこう」とゆすり歌の「ダルマサン ダルマサン」の2つ。
 絵本はともかく、わらべうたにはまったく馴染みがない様子。
 それでも、生まれてくる我が子の為に、しっかり覚えてくれた。

 我が年代は、わらべうたは当然自分自身が歌ってもらって育ってきた、と思っていたが、
 いつの間にか、童謡や唱歌は歌えるが、わらべうたは・・という人が増えて
 同年代でも わらべうたを自分の子には歌ってない・・・という。
 そういえば、赤ちゃんの読み聞かせをやっているボランティアの大半が
 「わらべうた」を!と言われ、それで、習って覚えた・・・という状況である。
 小学校の読み聞かせで、手遊びうたを洋楽の様に高らかにうたうのを聞いたこともある。
 昔話もしかりで、自分の体の中に沁み込んでいないものは、どこかぎこちない。
 
 わらべうたを保育をしていらっしゃる小林衛巳子さんは、

 わらべうたには 沢山のいいものがあるが、
      渡す人がいなければ廃れてしまう」と言われる。
 
孫の居る世代のボランティアには 
 せめて、孫の心と身体の発達を願ったわらべうたは身に沁み込むまでなじんで
 歌って欲しいものだ。
 
              

 

2012年4月3日
 今年も山間部にある子育て支援と学童保育の施設からの依頼で
 春休みのおはなし会をやってきた。
 0歳〜4歳の子ども達とその保護者と学童保育の小学生。
 年齢幅が大きいので プログラムはかなり考えて組む。
 小学生は昨夏も会っているので 顔馴染みだ。
 絵本もお話も詩も今まで以上に楽しんでくれ、よかった!

 終了後のおたのしみタイム、今回は折り紙でコマを折る。
 折り紙3枚で作るのだが、かなり難しいので 中心だけを折ることにし、
 外側の2枚は予め作って持参した物と組み合わせた。
 どの子も上手に作れて、ホントに良く回る。
 誰が一番長く回るか競争!大賑わい。
 
 子ども達はこの時間をとても楽しみにしている様子。
 上手に折れる子、苦手な子、友達の手伝いをする子
 どの子も 瞳はキラキラ輝き、表情は真剣そのもの。

 私達はその姿を見るのが おはなし会以上に愉しみなのだ。
 
 今日もボランティアできて幸せだ。





 
2011年11月18日
 今月はある考えから「いたずらこねこ」(福音館書店)を読んだ。
 この「いたずらこねこ」は 日本で1964年に発刊され、
 もう50年経ようとしている所謂「古典」と呼ばれる絵本だが、
 いまだに新鮮で、子どもたちの心を離さない素晴らしい絵本である。

 福音館書店の紹介では
 「読んでやるなら2歳から」「自分で読むなら小学校初級向き」 とある。
 大勢の読み聞かせだから2歳は無理だろうと考え、
 半数以上が3歳半以上になった3歳組と、小学1年生に読む事にした。
 
 「絵」の色は 池と水は青緑色、それ以外は白黒で、
 下方に地面の線、左ページ端に池、右ページ端に塀が
 見開き全体にどの頁にも描かれている。
 かめとねこは 細い線で小さく描かれている。
 お話に、かめが頭・手足を甲羅に引っ込める部分がある。
 ここの処で 予想していた通り、3歳児と1年生の反応が大きく違った。
 3歳児は「見えない!見せて!」と こちらが読むのを遮り、声を出した。
 1年生はそのままストーリーを追っている。 
 勿論、3歳児でも「かめ」の頭や手足を甲羅に引っ込める生態を知っている
 だけれど、絵を確認しないと安心出来ない。
 それが、1年生ともなると、ちゃんとイメージ出来、
 自分なりに絵が描け ストーリーが追える。
 「知っていること」と「理解していること」の違いだ。
 
 お話が楽しめる・・・とは、
 「そのストーリーを自分なりに絵に描けること」と言われるていることと、
 また、同じ絵本でも「聞く子どもの年齢に合わせて読む工夫」が必要なこと
 この二つを再確認出来たことが、今朝のボラ活のご褒美だな。



 
2011年3月7日
 月一訪れるある保育園でのこと。
 今日は 年長組の卒園前の特別版おはなし会&おたのしみ会
 日頃から絵本を読んで貰ってる子ども達は、おはなし会が大好き。
 首を長くして待ってくれていた。
 教室へ入って子ども達に向かい合った時 数人が、
 「指はよくなったァ???」と
・・・。「えぇえー!」驚いた。
 実は、1月に訪れた日の前日、指の手術を受けたので、
 当日は包帯を巻いていたのだった。
 「どうしたの?」と聞かれたので、訳を話していた。 
 「よくなったよー」と傷を見せたら、「まだ腫れてるゥ〜。痛そう。赤い」と声が上がり、
 その中で一人の女児が「包帯が取れてよかったネェ」・・・・。
 子ども達の気遣いに吃驚するやら、感激するやら。
 今回は普段以上のテンションとなった。
 
 
 35分間のおはなし会の後は、
 おたのしみ会の折り紙独楽作り。
 30分間かかって3種の違った折り方をし
 形作ったものを組み合わせて 
 それはそれは立派に回る独楽が出来上がった。
 
 保育園の子ども達は実に手際よく折り紙を折る。
 日頃の丁寧な保育の成果がよく見える。
   

2011年2月22日
 今朝の朝日新聞記事によると、
 昨秋、大道あやさんが亡くなっていた。。。 享年101歳。
 本人の希望により四十九日が済むまでは親族にも伏せられていた・・・・とのこと。
 
 母の丸木スマ 兄の丸木衣里とも画家で、ご本人は60歳過ぎてから絵筆を執られた。
 母・夫を不幸な出来事で亡くし、息子は家業での事故で障害を負ったなど
 絵筆を執るまでの半生は 想像以上の悲しみが重なった。
 
 
 絵本「ねこのごんごん」(福音館書店)に見られるように、
 犬・猫・鶏などの家にいる小動物が愛情深く描かれ、
 また庭の草花が画面いっぱいに描き込まれ、
 その力強さに惹かれた人も多いだろう。
 私もその一人だった。
 悲しみを経て画家となったその作品には「命」が溢れている。

 
 長崎の祈りの丘絵本美術館を訪れ、
 常設展「女流画家 大道あや展」を鑑賞し、命溢れる大作を堪能し,
 
101歳となられてもお元気で絵筆を握られているだろうと
 お住まいの広島へ思いを馳せたのは 今月初旬だった。
 
もう亡くなっていたとは知らずに・・・・。合掌
 
 


2010年1月8日 
 かがくのとも創刊500号記念講演を聴いて

 福音館書店には、毎月発行される9種類の月刊誌がある。
 その内の一つ「かがくのとも」が昨年11月創刊500号を迎えた。
 福音館書店は、かがくのともを創刊するにあたり、次のように考えた。
 *断片的な知識は、科学の世界では意味がないので、断片的な内容にしてはならない。
 *その世界に興味のない子どもにでも、導入部分がその興味を引きだし、
   後でそのテーマに出会ったとき、経験の記憶を思い浮かべる事が出来る。
 *子ども達に優れた絵本・心の底から楽しむ絵本を届けられる様、文章は簡潔で、
   絵はもっている物語る力で表現し、それが嫌いな・興味のない子ども達でも
   引き込む様な種々雑多なテーマを著す事の出来る一流の画家・作家の手によりつくる。
 
  「小さい子どもには『知識』は要らない。
   色んな遊びを通しての体験が何より大切。
   子どもの周りにいる大人は 知識は不要で、知らないことがあったら、
   子どもと一緒に科学してほしい」…とは講演会での講師の弁。
 
 


 
実際に読み聞かせの現場では、
 「かがくのとも」を子ども達に読んでやると 興味津々となる。
 子どもは「えぇー?!」と不思議がり・驚きの声をあげ、 
 また「それ見たことあるよ!」等など 口々に言いだす。
 文章は決して難しくはないが、正確な内容で、大人の私でさえ、興味がわく。
 「かがくのとも」は、私のボランティア活動には欠かせない。



 


新しい年が明けて

 読み聞かせ・おはなしボランティア活動を始めて、7年目突入
 まだまだ這い這いの段階だ。
 昨年一年間は、週1〜2回の活動での、
 子ども達との出会いが ボランティアを続けるエネルギー源となった。
 今年も、もっともっと精進して望みたい。


 

 
話は変わるが、
 昨年は 幾話の語りを聴いただろうか・・・と 手元の覚書を見るとかなりの数だ。
 語っている人の声や顔が思い出せるのは、やはり「いいなー」と感じた語り。
 お話がその人の体の中で熟成されてたものか、覚えたてか、何となく感じるし、
 語りの中にその人が出てると感じる。

 「もっといい話をする人に出会いたい。もっといい話が聴きたい」気持ちだ。
 今年は、遠方へ足を運んででも、質の高い語りを出来るだけたくさん聴きたい。







11月下旬
 《子ども達に「絵本を読む・お話を語る」ということ》を考えて・・・・

 この数年読み聞かせボランティアが急増している
 県や市の施策でもあるが、
 「リタイアしたので 何か人の役に立つことがしたい。子どもが好きで、本は読める」
 ということで、この活動に参加!…こういう人が大半を占めている。
 読み聞かせボランティアは 教育者でも保護者でもなく、
 子ども達にとっては、その時間出会うだけの、
 よその、近所の、顔見知りの「オトナ」だから、やり直しがきかない。
 つまり、読み聞かせボランティアは、子ども達の育ちにかかわる活動をやるわけだから、
 いい加減・無責任では 子ども達が困ることになるのだ。
 「字が読める」「子どもが好き」というだけでこの活動…とは無責任ではないだろうか?

 「何を読むか?」「何を語るか?」考えるとき、
 聞き手の子ども達のことが頭に浮かんだ人はどれくらいいるだろうか?
 同じ題材を扱った絵本やお話のテキストを数冊あるいは数話 読み比べているだろうか?
 自分の好みで、絵が可愛いから・面白いからとお話を選んでいるのでは?
 絵本やお話で使われているその言葉でいいのだろうか?

 教育の現場で「子ども達に生きる力を!」と叫ばれて久しい。
 しかし、「いじめ」で自死する子が後を絶たない。
 子ども達に絵本を読む・お話を語る人は、、
 「自分と同じ目に合って、でも、何とか生きる道を見つけ出す絵本やお話の中にいる
 主人公」と出会わせて欲しい。
 「大丈夫だよね。世の中いいこともいっぱいあるよね」と感じさせて欲しい。

 子ども達に読む絵本は、希望・勇気・安心・幸福をもたらすものでなければならない。
 …と私は思う。
 子ども達の役に立ちたい!という心があるなら、
 この様な絵本やお話を届けられるよう、もっともっともっと自己研さんが必要だ
 私も含めて・・・・。





10月下旬
 23日・29日・30日の三日間 昔話の世界にたっぷりと浸り 心ゆくまで楽しんだ。
 23日は県の南西部の島(橋で陸続きになっている)で、
 県内で文庫活動やお話会をやっている人たちの年一回の交流会。
 児童書著者の角野栄子さんを講演に招き、
 その後、語り手の昔話語りを聴き、また夜は県内で活動している参加者が
 語り合いっこした。
 中でも東北訛りのある語り手の「鹿踊りのはじまり」(作/宮沢賢治)は圧巻であった。
 この会は、毎年一回県内持ち回りで開催される。
 その土地土地の持ち味たっぷりのもてなしが嬉しい会である。

 29日30日は、30年間以上 子ども達にお話をしている方々三人の昔話語りの会。
 訛りのない語り手のお話、これもまたいい。
 スタッフとして接した語り手たちの人柄は皆、
 「子ども達に昔話を届け、一緒に楽しみたい」という子ども達への想いに溢れ、心優しい。
 正しく、「語りには、その人の人柄・生き様が見える・出る」

 昨今、演劇さながらに、オーバーな振りや、声色を変えた語り方をする語り手も多い。
 実際、ボランティア向けにこんな語り手の講座があることも・・・。
 その語り方は、その場では面白かったり、気持ちが動かされたりもする。
 だが、聴いたお話は心に残っていない。

 私たち、語り手は聴いている子ども達に「お話」を届けるのが目的だから、
 語り手の姿の印象が強過ぎると、やっぱり、聴いたお話の印象は残らない
 ・・・・と確信した3日間だった。

 3日間で聴いたお話                                  
 《日本の昔話》
 *こぶとりじい(二話) *鶴女房 *しっぽのつり *ぼんさらや *朝日長者と夕日長者
 *ふるやのもり *かにむかし *ねずみじょうど 
 《外国の昔話》《創作話》
 *ブレーメンの音楽隊 *世界でいちばんやかましい音 *小さいお嬢様のバラ 
 *がみがみシアールと少年 *三羽のカラス *ならずもの *うりぼとっつあん 
 *皇帝の玉座でうたったオンドリ *ジャックと豆の木 *デリーとジム 
 *男の子のパイ *青いハスの花 *九百九十九まいの金貨





10月上旬
 赤ちゃんとママ対象の絵本読みとわらべうた遊びのボランティア活動をやって5年半。
 初めは必死でやっている…という状態だったが、
 今では参加のママたちの声がよく聞こえるようになった。
 ママたちは口を揃えて、「わが子が可愛くて可愛くて」と言う。
 それを聞いて仲間の一言
 「自分たちの子育て中は、わが子を可愛いと感じる余裕がなかった。
 子育てに必死だった」と。
 そうなんです。私も確かにわが子は可愛いとは思っていたが、
 「カワイイ〜〜〜」と外に向かって発した覚えはないような・・・・。
 人さまから、「よー可愛がるネェ。」とか「可愛かろう!?」と声をかけられた時には、
 「はい、そうですネェ」と答えた記憶はあるが、自分から口に出したことはなかったな〜。

 一方、虐待や心中未遂での子殺しのニュースが絶えない。
 TVインタビューに答える近所の人の声は
 「あのお母さん、ホントよく可愛がってましたよ〜」が多い。
 可愛がってたのに何故?????

 このギャップ、考えても考えてもどうしても理解できない。
 そして最近の私はこんな風に考えるのだ・・・・
 果たしてママたちは心から可愛いと思っているのだろうか?
 そうではなくて、
 「カワイイ〜」と言わなければならない!と思っているのではないだろうか?
 そうでないと、
 自分は母親として失格だと思われると感じているのではないだろうか?


 子育ては24時間365日、延々と続くもの。
 特に一人で子育てをしている人(母親)は まるで滅私奉公の日々なのだ。
 心がいっぱいいっぱいになり、どうして産んだのかなぁ・・・・
 と、ふっと思うこともあるはずだ。
 そんな時、わらべうたにいいのがある。
 「ボウズ ボウズ カワイトキャカワイケド ニクイトキャ ペシャン(お尻を打つ)」
 正しく 昔の人の知恵だ。


 
9月25日
 久しぶりの小学生対象のお話会、でも、会場の市立図書館には
 小学生の姿が殆ど無い。その後、開始時間になったので始めた時、
 小学1年生1名、5歳1名
3歳3名、2歳以下4名の参加。
 幼児さんばかりが目立つ。
 仕方がない、プログラムした絵本を差し替える他ないな!
 ・・・と考えながら、読む順番を待っているうち、2〜3名の小学生が来てくれた!
 
 プログラム変更せず、幼児さんにはちょっと長くてシンドイかな?と不安ながらも、
 「サリーのこけももつみ」 を読み始めたら、
 なんとなんと、絵本がよく見える前方にジリジリ
 とすり寄ってきて、身じろぎもせずジッと見てくれている。
 読み終えるまで13分間もかかったけれど、
 小さい子ども達も飽きずに最後までしっかりと聞いてくれた。
 流石 古典絵本だ!! 
 60年間近く読み継がれてきた絵本の底力が子ども達の心をつかんだのだ。

 
       

 昨今 少し売れるとシリーズ化して出版される絵本が増えているが、
 果たして、5年後に読まれている絵本はこの中の何冊だろうか????
 ・・・・・と、本屋で平積みにしてある絵本をパラパラとめくっての独り言。


 

8月下旬 
 講師は、NPO法人子どもとメディア運営委員で、ある子どもの本の専門店主。
 
テーマは
子ども・本・おとな」本との出会いから>という県図書館講座を受講
 読み聞かせボランティアの在り方についての話。
 何かボランティアがしたいと考え、読めるから・・という理由だけで ボランティア
 活動に入っている人が多くなり、問題が起きている。
 その問題というは、ボランティアは本のつなぎ手であるから、読む本を知っていることが
 第一条件なのに、子どもたちに読んでやろうとする本を知らない。
 予め、その本を熟読することもなく、その場で、ただ面白そうだから選本し読んでいる。
 ・・・と言われた。
 
 自分の満足で活動している人がいる!とボラ活で感じることが多くなった。
 「子どもたちがボランティアのボランティアをしている」という笑えない話も聞こえてくる。
 自分自身はどうだろうか?・・・と我が身を振り返り、足元を見つめつつ、
 活動していく必要があると感じていたから、私は、この考えに諸手を挙げて賛成したい。


 

7月上旬 
 おはなしボランティアは何を目指しているのか
 私は公的図書館所属ボランティアの1サークルの一員として活動している。 
 
 この活動に入った6年前、図書館例会と呼ばれる「次月当番の実演会」に、
 『先ず1年間は≪勉強させて貰う≫という立ち位置で参加しなさい!』だった。
 そこには 20年・15年とキャリアを積んだ先輩方がいらっしゃり、
 今では、読み聞かせなどの講師活動をなさっている方も多い。
 そこで月一数話の語りを聴き、数冊の絵本読みを見聞きするのは、楽しい時間であり、
 尊敬・憧れの集団であった。そして、「来年から自分達も活動が始まる。
 語りが出来るだろうか?もっともっと勉強が必要だ。しっかりやらなねば!」と、
 参加する度に身が引き締まる思いをする場でもあった。
 
 その為に、数多くの講座を受講し、講話を聞き、ワークショップに参加し、語りを聴き、
 講師の著書を読み、絵本を読み、作家の勉強をし、・・・という事をしながら、
 ボランティア活動をやってきて5年半が過ぎた。

 ところが、3年程前からこの場に違和を感じ始め、
 今では所属を辞退しようか!と考えるまでになっている。
 理由は、この場を運営し、後進を育て、子ども達へ本を届けよう!
 ・・・という空気が感じられないから。
 個々の方々の活動歴もスキルも素晴らしく、いまだにスキルを盗み、
 一歩でも近づきたい願い・意気込みはある。
 しかし、
 お互いが意見を意見として受け取れない。言えない
 お互いが批判としてしか表せない。受け取れない。
 お互いの実演に対し、冷静な態度がとれない。 
 ・・・等々の姿が目に余るのだ。
 敵対しているとしか感じられないこともあり、
 情けない思いで散会することも多々。
 この会の中で後進を育てる姿勢など皆無に近い。
 
 子ども達の将来を考えての活動なのではないか!
 子ども達に本を読む喜び、お話の楽しさを伝える活動をしているのに
 そんな心根で何が伝わるのだろう。
 いったいどこを向いての、何が目的での活動なのだろう
                                                     
 この現実を見る度に心が寒くなる・・・と一人思い悩んでいたが、
 昨日のサークル勉強会で、メンバーのほとんどが
 同じ思いを胸に抱えて 毎月参加しているのだと言う。
 流石我サークルメンバーだ!! よかった!!
 
 「同じ思いでいる者で第二のボランティ集団を作りたい!」と。
 キャリアでは当然負けるが、
 
子どもを本好きにする為の活動という点では誰にも負けない自信がある。
 さあて、いつ、どうやって船出をしようか!
 旗印は「どの子も本好きになること」にしよう!
                                      

6月下旬 
 5年前の6月25日、絵本作家の長新太さんが亡くなった。
 「長新太ワールドと呼ばれるナンセンスを大部分の大人は理解出来ない」
 と言われるが、確かにその反応は、子ども達のそれとは天と地ほど違う。
 私自身は「ごろごろ にゃーん」と出合った時、この面白さはいったい何なのだろう・・・と
 何故そう感じたのかを 説明出来なかったが、次に、「つきよのかいじゅう」と出合った時、
 そのバカバカしさに心底嵌ってしまった。 面白さに説明はいらない!
 それ以来、彼の本を開く度に心が柔らかくなるのが分かる。

 25日の天声人語は、彼の作風が題材。
 「『かわいいだけの本は子どもへの冒涜』と、読み手の受容力を試す様な仕事を残した。
  正義や優しさを説くこともなく、作品はオトナの常識を粉砕していく」と始まり、
  鶴見俊介氏や村瀬学氏の言葉もある。
 「さてどんな代物か、絵本になじみのない向きは週末の図書館で確かめてほしい。
  干からびた常識のタガが心地よく、ポポーンと外れること請け合いだ。
  頭と心をほぐすのに、遅すぎることはない」と結んである。

 そう!! 是非、手にとって見てほしい。

 我家にも絵本とは縁遠い連れ合いがいる。
 この記事を読み、話題にしたので、「ごろごろ にゃーん」を声に出して読んだ。
 「ふぅ〜〜ん・・・・、へぇ〜〜〜。」という反応。
 企業戦士だった連れ合い、息子達が小さい時に十分楽しんだことは知らない。
 タイムトラベルが可能なら、その頃の息子達に会いに行って欲しい。


 
6月上旬 
 ルールのこと
 どのサークル活動にもそれなりのルールがある。
 私の所属するおはなし会サークルにも勿論ある。
 そのルールは サークル発足後から共に活動してくる中で、問題や気付きがあった時、
 意見を出し合い、話し合って、〈よりスムースに活動出来る様に〉という思いで出来たもの。
 そしてそのルールは最低限あればよいが、そうもいかない。
 何かある度に、「決めごとがあったがいいね・・」となり、段々と増えている。
 
 このルールを改めてよく考えてみた。呆れた、どれも常識なのだ。 
 常識を身に着けていれば『ルールを守る』と意識しなくても 自然と心が動く筈だ。
 なにより、サークル活動をやる時は、
 誰もが〈おたがいさま〉の気持ちを持ちながら活動すればよいのだ。
 ・・・と私は思うが、これもそれぞれ考え方の違いがあるから 
 時にぎくしゃくしてしまうのだろうなぁ・・・なんだかなぁ。。。
 

 

5月下旬
 ある朝の光景
 図書館へ本を返しに行った帰り道、近くの歩道を向こうから母子が歩いてくる姿があった。
 母親は30歳前くらい、子どもは2〜3歳の女児。
 母親はハイヒールをはき、カツカツカツと急ぎ足で歩いてくる。
 その右手には、子どもの左手がしっかり握られている。
 彼らに気付いてから、すれ違い、後ろ姿を見送るまでの3〜4分間。
 女児はずっと走り続けていた。まるで、空を駆ける様だ。
 想像だが、保育園か託児所に預け、仕事場に急ぐのだろう。
 女児の息遣いは分からなかったが、家を出てずっと小走りなのだろう。
 この毎日で、この子には、せめて、、、
 駆けっこが速くなって、皆に一目置かれる子ども時代が来るように
 ・・・・と願うような気持ちで見送った。

 私自身、
 上の子達は幼稚園で過ごす以外は、毎日6歳まで殆どずっと一緒の時間を過ごした。
 下の子達は3歳から保育園で一日の大半を過ごした。
 この結果、幼稚園では母子共友達が出来、
 保育園では子ども自身が生活力を身につけた。
 どちらがいいとは言えないが、確実に生きる力に違いを感じたのは確かだ。
 
 今、ボランティア活動で出会う、
 子育て支援の子ども達と保育園児の違いにを再び目の当たりにし、
 日々の生活環境が、子ども達の生きる力の違いとして表れるのだ、
 ・・・・と、改めて実感している。

 
 

4月◎日
 嬉しい驚き2つ
 
 
@ある子育て支援センターのおはなし会に来た親子。赤ちゃんを抱っこしたままでは
   荷物の片付けも名札付けも出来ないので ヘルプ。
   その時、お姉ちゃんの名前を聞いて
   あれ!何処かで聞いた名前・・・とは思いつつ、2〜3会話を交わす内に、
   「○○で・・」とママ。「え!!あの・・・チャン!?」 
   ある公民館でのおはなし会へ来ていた母子でした。 
   「もう来ないんだろうネェ」・・・と噂していた矢先。
   「この子が出来たし、近くにここが出来たから・・」とのこと。嬉しい再会だった。

 A新築保育園舎を見学させて貰った後のこと。
   園児たちが保育士に先導され静々と廊下を歩いて来た。その中の一人の男児が、
   じーっとこちらを見ているのに気付いた。目が合った。
   「何処かで…あった子、上の階で出会った子たちの中の一人だったかなー」
   といぶかり顔のこちらへ 「◎△保育園で!」 ・・・・と笑顔で一声。
   「アッ!! ここへ入園出来たのネェ。入園おめでとう!」
   と声をかけるのが精いっぱい。思わずハグしてしまった。
   ○日に書いた待機園児の一人だったのだ。 
   ◎△園長からも「待機園児の転園が多くて今年は園児数が減りました」
   と、聞いていた。
   
 出会った子どもの顔を覚えていないなんてお粗末な大人
だ!と、大反省

 
 
 
4月△日
 ある地域の子育て支援施設で。
 おはなし会中 ずっとウロウロ歩き回る1歳3カ月の女児。ママが連れ戻しても、
 また動き出す。特に、カーテンの奥が気になって仕方がない様子。ママは私たちに
 気兼ねしてか、座って聞かそうと追いかける。だからママまでウロウロ。
 終了後、「子どもは歩き回っていても、ちゃんと聞いているから、抑えつけない方が
 いいョ。おはなし会が子どもにとっていやな時間になるからネェ」と話した。
 「落ち着きがないでしょう?私も自由に歩き回らせたいんです。
 でも・・・、家のおばあちゃんが『転ぶから、あぶないから、つきっきりに!」
 って言うんです。だから落ち着きがない」ってため息交じりのママ。
 「孫が可愛くてたまらないのネェ。 ここに来た時は自由に歩き回らせてあげたら・・・」
 「あまり家を出られないんです」・・・・・。
 婚家で家族の一員としての子育て、なかなか難しい。

 世の中の祖父母さんへ、
 可愛い孫には旅をさせよ!手は出しても、口は出さないでおこう!・・・当方もその一員。


 
4月○日
 
ある保育園に用があって伺った。
 ぴかぴかの新築園舎に建て替わっていた。元々広い敷地を持つ園。L字型に立つ
 一部3階建ての園舎の園庭側は天井まである2段のガラス窓。明るく・広い板張りの廊下。
 教室も勿論板張り。玄関はロック付きの木製自動ドア。
 待機児童を減らす目的で、市が23年度の予算計画を前倒しでの事で、市内には10か所
 近くの園が新設もしくは新築となり、この園でも60数人増の受け入れが出来たとか。 
 この春から子供手当なるものが支給され、子を持つ親にとっては嬉しい限りだろうが、
 果たして支給されたお金が全額子どもの為に使われるのだろうか? 
 同じ国が決めた予算でも、本当に必要なところに出すのか、ばらまくのか、
 10年後でなくても結果は見えている気がする。


 ここには子育て支援と学童保育の場も併設されているので、0歳からここへ通う子は、
 10年以上も我家と同じ様に時間を過ごすのだろう。
 親以外に愛情を持って見ていてくれる大人が居るというのは子どもには不可欠だから
 親御さんはさぞかし心強い事だろう。

 
 
4月○日
 ある日の図書館で耳にした話。
 母子10組参加の赤ちゃんのおはなし会、途中からママ達の私語でザワザワザワ
 「どうしてそうなるのでしょうかネェ」…と。

 悪いのは相手ではなく、こちら側。
 ボランティアがその活動目的をきちんととらえていない。 
 図書館、公民館、児童館、子育て支援センター、保育園、幼稚園・・・と其々のおはなし
 会の持ち方の違いを全く考えもせずにやっている気がしてならない。
 ボランティアを養成する側にも、その考え方にふらつきがあると感じている。
 予算がない中での公的講習講座なのだから、もっとその内容を精査すべきであり、
 これからの日本を背負う子ども達に関わる活動なのだから、確かな考えに立って、
 将来を見据えた上でのボランティア養成をやってもらいたいものだ。
 

 
 3月○日
 桜が咲き始めたぽかぽか陽気の日、訪れた園の庭では子ども達が泥水遊びをしていた。
 その満面笑みの子たちに、私は嬉しくなり、
 「今しっかり泥遊び・水遊びを楽しむんだよー」と心の中でひと声。
 その後、耳にした話。

 「園庭に穴があったら子どもが転ぶから危険だ。」「泥遊びは汚いからやらせないでくれ」
 ・・・との苦情がくるそうだ。 穴といっても、固い固い地面に小さいプラスチックのスコップで
 擦るようにして作った凹み。通路にある訳でもないし、人がけっ躓く程のものでもない。
 子どもが2〜6歳の頃に泥遊びをしなくて、どうしてまともに育つだろうか!
 そんな保護者には、遊んでいる時の我子の満足気な顔を見て心を感じて欲しい。
 苦情を受ける園側は穏やかに対応するそうだが、
 同じ子どもを育てた親としては、なんとも情けない話に無性に腹が立つ。
  
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